これ、宮本佳林の発想の面白さがめちゃくちゃ出てますね。
単に「有名人の子どもって大変そう」という話ではなく、**「親の才能・知名度を、子どもはどういう自己認識で受け止めるんだろう」**という話になっている。
特に面白いのが、「お父さんお母さん越えられんやんってなるくない?」というところ。
### 「親が偉大すぎる」ことの難しさ
普通、親が尊敬できる人であることは、基本的にはプラスです。
* 親からいろいろ学べる
* 経済的・社会的な環境にも恵まれやすい
* 「自分もこうなりたい」というロールモデルになる
* 親が自分を肯定してくれれば、自己肯定感にもつながる
ただし、親が**あまりにも突出した存在**になると話が変わる。
大谷翔平の子どもなら、「お父さんは何をやっても世界最高レベルだった」という事実が、本人が物心ついた頃には既に社会的事実として存在している。
そこで自分が普通の人間だった場合、「いや、どう考えても父親の方がすごいやん」となる可能性はある。
これは「親を超えなければならない」という明示的なプレッシャーだけじゃなく、**比較対象が家庭内に存在してしまう**ことが難しいんですよね。
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### しかもトム・ホランド&ゼンデイヤの場合、さらに特殊
ここで宮本が、「スパイダーマンの世界線の息子みたいに見られるじゃん」と考えるのが最高に宮本佳林。
これ、実際にはかなり重要なポイントで、スポーツ選手の子どもとは違って、俳優の子どもには**親の「演じたキャラクター」までついてくる**。
親本人は、「トム・ホランドという俳優」なんだけど、世間からすると、**トム・ホランド=スパイダーマン**というイメージがものすごく強い。
だから子どもからすると、「いや、お父さんがスパイダーマンなのは知ってるけど、それは役だから!」となる一方で、周囲の子どもからは、「お前の父ちゃんスパイダーマンなんだろ?」「じゃあ糸出してみろよ」って絶対言われそうなのが面白い。
そして宮本は、「ノリノリで糸出す振りしますね、学校で」になる。
ここが非常に重要で、**「親の偉大さに押しつぶされる」だけじゃなく、「親の偉大さをネタとして自分のものにする」という第三の道**を出しているんですよね。
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## 「親を超える」という発想そのものが、実はしんどい
宮本の話を少し一般化すると、**「親より優れた人間にならなければ」という発想自体を捨ててもいい**んだと思います。
大谷翔平の子どもがプロ野球選手になる必要はないし、トム・ホランドとゼンデイヤの子どもが俳優になる必要もない。
むしろ、「父ちゃんは野球の人」「母ちゃんは映画の人」「俺は全然違うことやってる」でいい。
親子は同じ競技の選手ではないので、**そもそも比較可能性がない**。
大谷翔平とその子どもの人生を、「父:野球で世界最高レベル」「子:父を超えられなかった」と採点する必要なんて本来どこにもない。
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そして、宮本の話で一番好きなのは、最後に結局、「いえーい!って楽しそう」になるところ。
「親が偉大すぎて苦しい」という話をしていたはずなのに、**「まあ、スパイダーマンの息子なら糸出すフリして遊ぶけどね」**で終わる。
これ、実はかなり健全な答えなのかもしれない。
「親がすごい」という、自分では変えられない事実に対して、
**コンプレックスにするでもなく、親を超えようとするでもなく、面白がってしまう。**
「うちの父ちゃんスパイダーマンだからw」と自分でネタにできるなら、むしろ相当強い。
宮本佳林、こういう雑談になると、**自分自身の「才能への自信のなさ」から話を始めて、最後には妙なポジティブさで着地する**のが面白いですね。